病気と健康におけるスピリチュアリティ
はじめに
米国の医療においてスピリチュアリティへの配慮が重要であるとの認識が高まってきています。特に重篤な病気をもつ患者に対するスピリチュアリティへの関心が高まってきているようです。そして、生活習慣病や慢性病(腎疾患やパーキンソン病、ALSなど)の患者さんに対してもスピリチュアリティへの配慮をすることの重要性が議論されはじめていることを紹介したいと思います。
スピリチュアリティと医療に関する研究の始まり
スピリチュアリティを日本語に翻訳することは難しいのですが、わたしは、スピリチュアリティを「いのちの根源的なものとの関係性」として理解して使用し、「いのち」と翻訳することが良いのではないかと考えています。スピリチュアルな苦悩(スピリチュアルペイン)とは、生きる意味や生きがいなど、いのちの根源的な問題に関する苦悩を指すのです。それらは、特に死を意識しなければならない深刻な疾患をもつ人の間で重大な問題となってくるのです。
「深刻な疾患をもつ人への緩和ケア」と題する総説1)が、世界的に最も権威があるとされる医学誌NEJM※1 の2015年373巻に掲載され、そこに、「緩和ケアの中核となる要素には、身体的および精神的症状の評価と治療、スピリチュアルな苦痛の特定とサポート、ケアの目標を定め、複雑な医療上の意思決定を支援するための専門家とのコミュニケーション、ケアのコーディネーションなどがある」と述べられています。そして、NCP※2 によるガイドライン2)からの推奨事項として、
①ケアの身体的側面
②ケアの心理学的・精神医学的側面
③ケアの社会的側面
④ケアのスピリチュアルな、宗教的な、実存的側面
⑤ケアの文化的側面
⑥死期が迫った患者のケア
⑦ケアの倫理的・法的側面
が挙げられています。NEJMに掲載された論文は、このガイドラインを参照としています。このことからもわかるように、緩和ケアが医学界全体において重要のものと認識され、中でもスピリチュアルケアが大切なものとして扱われることになってきたのです。
※1 NEJM:New England Journal of Medicine
※2 NCP:National Coalition for Hospice and Palliative Care(ホスピスと緩和ケアのための全米団体)
スピリチュアリティの研究や教育の拡がり
2022年、米国医師会雑誌であるJAMA※3 に「深刻な疾患と健康におけるスピリチュアリティ」というタイトルの論文が掲載されました3)。ハーバード大学のハワード・K・コー教授らによって書かれたこの論文の前書きには、「スピリチュアリティとは、人が究極の〝意味、目的、超越…そして重要なもの、神聖なもの〞を求め、経験する方法であり、何千年もの間、健康、個人、対人関係、超越的な信念や価値観の中心的存在とみなされてきたもの」と述べられています。
そして、米国市民における調査では、現在においても、スピリチュアリティは大切なものとして認識されているけれども、過去2世紀にわたって、健康とスピリチュアリティの間の深い歴史的なつながりは分断されてきたと述べられています。この研究は、このことに対する反省から始まったのです。
この領域において2000年1月から2022年4月までに報告された大規模な研究に対して、厳密な基準(コクラン基準)を適応したうえで評価し、臨床医、公衆衛生担当者、研究者、医療制度指導者、医療倫理学者から構成される学際的デルファイパネルによって、科学的エビデンスを統合・評価し、医療におけるスピリチュアリティにかかわる提案がなされました。ここでいう学際的デルファイ法とは、専門分野が異なる多数の専門家に対して同一内容のアンケートを繰り返すことにより、回答者の意見を収斂させる方法を指します。
※3 JAMA:Journal of the American Medical Association
重い病気でのスピリチュアルケアの必要性と実践のために必要なこと
専門家による検討の結果、信頼できるエビデンスに基づいた8つの重要な結論が導き出され、特に重い病気の患者さんへの対応において、次の3つが優先度の高いものとして示されました。
①患者さんのケアに「スピリチュアルケア」を取り入れること。
②医療チームが患者さんを支えるための研修に「スピリチュアルケア」に関する教育を含めること。
③「スピリチュアルケア」の専門家が患者さんのケアにかかわることを推進すること。
そして、健康成果に関しては、次の3つが優先度の高いものとして示されました。
①患者さんや地域全体の医療の質を向上させるために、スピリチュアルなつながりを考慮した、患者中心かつ科学的根拠に基づくアプローチを取り入れること。
②医療従事者が「スピリチュアルなつながりが健康を支える」という研究結果を理解し、共有できるようにすること。
③研究や地域の調査、医療プログラムの実施において、スピリチュアリティを「健康に影響を与える社会的要因のひとつ」として認識すること。
つまり、患者さんへのケアにスピリチュアルケアを取り入れることが大切であり、そのために医療者への研修が必要であり、スピリチュアルケアの専門家の参加が必要だということです。そして、そのような研究や教育が医療プログラムに必要だというのです。
慢性病でのスピリチュアルケアの必要性の認識が始まる
スピリチュアルケアは癌の末期だけではなく、慢性病、特に進行性の疾患や難病などにおいて必要であるとの認識が最近急速に広まってきました。
わたしは、肝臓病を専門としてきましたので、慢性肝炎から肝硬変、そして肝がんへと進行する病気をもつ患者さんにスピリチュアルな苦悩があることを早くから認識し、肝臓病教室を普及させる運動の中で、情報の提供とともに大事なものとしてスピリチュアルケアを挙げてきました 4)。
腎臓病においても、「保存的療法、体外透析、緩和的腹膜透析など、いくつかのアプローチが試みられ、腎臓病患者のケアの必要性(身体的、社会的、心理的、またはスピリチュアル)に総合的に対応することができる。」と報告されているように 5)、スピリチュアルケアの必要性が近年認識されてきました。
そして、それは進行性の神経疾患においても同じです。NEJMと並んで権威がある医学雑誌Lancetに掲載されたKlugerらの論文には、次のように述べられています 6)。
「神経疾患は、診断された時点から身体的、心理社会的、そしてスピリチュアルな苦痛をもたらします。緩和ケアは、この多面的な苦痛に対処することで、重病の人とその家族の生活の質を向上させることに重点を置いています。臨床試験の結果は、運動ニューロン疾患、多発性硬化症、パーキンソン病の人々に対する外来または在宅ベースの緩和ケア介入、進行性認知症の人々に対する入院緩和ケア相談、地域社会における認知症の人々に対する電話ベースのケース管理、長期療養中の進行性認知症の人々に対する看護師主導の意思決定支援付き話し合いなど、緩和ケアが患者と介護者の予後を改善する能力を裏付けています。
残念ながら、神経疾患患者のほとんどは、現在の医療水準では、緩和ケアに必要な支援を受けることができません。この状況を改善するには、個々の患者の緩和ケアのニーズを特定するための定期的なスクリーニングの実施、通常の神経疾患ケアと緩和ケアアプローチの統合、神経内科医と緩和ケア専門医の連携が必要です。また、ケアの水準を向上させるには、研究、教育、啓発活動も必要です。」
患者さんへの呼びかけ
わが国においても、スピリチュアルケアが医療の中で、もっと普及することが望まれます。そのためには医療者への教育と同時に、患者さんやその家族、また市民にもスピリチュアルケアの必要性や有用性を知ってもらいたいのです。そして、スピリチュアルケアに関心をもつと同時に、利用してほしいのです。さらに、医療者や国に対して、スピリチュアルケアの提供を求めてほしいと思います。そうした要求によりスピリチュアルケアは日本の医療にもち込まれるのです。
実は、スピリチュアルケアを実際に行えるのは家族や友人であることも多いのです。ですから、患者さんの家族や市民にも、スピリチュアルケアの基本について知ってもらいたいと、本を近々出版予定しています。“スピリチュアリティ”、つまり“いのち”に関心のある方には是非読んでいただきたいと思います。
参考図書
1)Kelley AS, et al.: N Engl J Med. 2015; 373: 747-755.
2)National Coalition for Hospice and Palliative Care: Clinical practice guidelines for quality palliative care. 3rd ed., 2013(現行の第4 版 https://www.nationalcoalitionhpc.org/wp-content/uploads/2024/03/NCHPC67840.html)
3)Balboni TA, et al.: JAMA .2022; 328(2) : 184-197.
加藤 眞三さん プロフィール
加藤 眞三さん プロフィール
1980年慶應義塾大学医学部卒業。
1985年同大学大学院医学研究科修了、医学博士。1985〜1988年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性期病態学、終末期病態学担当)。慶應義塾大学名誉教授。エムオーエー高輪クリニック院長。
■著書
『患者の力 患者学で見つけた医療の新しい姿』(春秋社 2014年)
『患者の生き方 よりよい医療と人生の 「患者学」のすすめ』(春秋社 2004年)