人類にとってのケアの姿とは
はじめに
21世紀はケアの時代ともいわれています。社会の高齢化と慢性疾患患者の増加のために、ケアを受ける人の数が急激に増加していることが一因です。しかし、それだけではなく、AIやロボット技術・ITC(情報通信技術)の発展により、人が行うべき仕事は機械ではできないものへと移行していくと考えられるため、ケアが注目されているのです。今後、社会の中でケアのニーズは量的に増えるだけではなく、質的にも飛躍的に高められることが期待されます。
記憶力やロジックによる判断、画像処理による診断などはAIの進歩に伴い、近い将来人間を凌駕するといわれています。そのときに、人間がやるべきこととして残されるのが「ケアとアートと祈り」というのがわたしの推測です。そして、その三つの中ではケアがそれらの根底にあります。
ケアの起源、ケアの本質は毛づくろいに始まる
それでは、ケアとは一体どのような行為なのでしうか? 梶田昭による『医学の歴史』 1)では、医療は人類の始まりとともにあったと述べられています。そして、医療の原型は人類が存在するより前から存在していたといいます。たとえば、鳥やサルでは、毛づくろい(グルーミング)をする行為がみられ、その行為は2億年以上も前から存在していたのです。
チンパンジーの毛づくろいを観察すると、相手の肉体の欠陥部位を見つけ、たとえば小さな腫れ物や傷などをなめてきれいにするそうです。灰のかけらが目に入ったサルに対して、別のサルが両手で灰を取り除こうとする行為も見られるそうです。ここまでくれば、その行為は医療に相当するものであると誰もが考えるのではないでしょうか。
キツネザルの毛づくろいはもっぱら衛生上の理由であり、ほかのサルに毛づくろいしてもらうのは、自分の手が届かない部位(頭皮や背中)に集中するのだそうです。毛づくろいがお互いを有益な行為、お返しの行為とする社会協定があるようです 1)。ダンバーは、毛づくろいがお互いを助け合わせ、その行為が集団生活を生み出したと、以下のように述べています 2)。
社会的グルーミングを行なう哺乳類は多いが、霊長類ほど活用している例はほかに見あたらない。社会性の強いサルや類人猿ともなると、一見取るに足らないこの活動に一日の五分の一を費やすのだ。相手の毛を少しずつかきわけては、ごみや草、かさぶたなどを取りのぞくのだから、意味がないわけではない。けれども社会的グルーミングの真の価値は、毛のなかに指をすべりこませ、皮膚に軽く、ゆっくりと触れる手の動きにある。この動きに反応するのが、脳に直結しているC触覚線維と呼ばれる求心性神経だ。その唯一の役割は脳の奥深くでエンドルフィンの分泌をうながすことにある。(中略)日常的にグルーミングし合う相手に責任と恩義を感じれば、それが社会の結束を保つ接着剤となる。ただグルーミングは親密度の高い行為なので、相手は数に限りがあり、それがすなわち結束社会集団の上限となる。サルおよび類人猿では50頭前後である。(中略)そのためサルと類人猿の場合、結束社会集団の大きさはおよそ50頭で頭打ちになる。私たちの祖先は、社会集団を拡大する必要に迫られたとき、二人以上に同時にグルーミングする方法はないかと知恵を絞った。こうしてたどりついた唯一の現実的な解決策が、直接触れることなくエンドルフィン分泌をうながす一連の行動だった。それはいまも、私たちの社会的な相互作用の中核となっている。獲得した順に行動を並べると、笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと(みんなで食事をして酒を飲む)で、最後に忘れてはならないのが宗教儀式だ。いずれも言葉に依存するため、ヒトにしかできない行動である。唯一の例外があるとすれば、最も早くから存在した笑いだろうか 2)。
つまり、毛づくろいが受け手のエンドルフィンを高め、免疫力を高め、幸福感や快感をもたらし、集団の結束を高めるのです。結果として、人類の集団はより大きくなります。お互いにグルーミングできる規模の約50人を超えたために生み出されたのが、笑い、歌、踊りであり、物語を語ること、宴、そして宗教であるというのです 2)。
このような視点に立つと、毛づくろいをするというケアの行為が、言葉、芸術、会食、お祭りや宗教の根底にあったことがわかります。そして、それらが人類を特徴づけ、繁栄させてきたのです。高学歴で理知的な人はたわいもない会話(ゴシップ話)を軽視する傾向がありますが、実はこのゴシップ話が人間の連帯を高めるうえで重要な行為でもあったといいます 2)。人間としての最も本質的な活動は、ケアに始まり、言語やアートにつながり、さらに宗教を生んだのです 3)。
ケアとは
ケアとは、本来「気遣い、配慮、世話」などの意味をもつ言葉です。他者とのかかわりの中で生まれる最も人間らしい行為です。わが国でスピリチュアルケアの普及に取り組んでこられたキッペス神父は、ケアについて次のようなことを述べています 4)。
ケアされることと、ケアすることは、ともに最も人間的な行為である。人間は人間である以上お世話になる存在であり、お世話になるのは当然である。人間は一人で生きていられず、相互にお世話にならざるをえない存在である。お世話になることは病気になっているためではなく、人間であるからである 4)。
ケアにはその行為を通じて、ケアされる側だけでなく、ケアする側にも力が与えられる側面があります。それは人間として生きることの普遍的な欲求に基づいているからです。「愛のホルモン」とも呼ばれているオキシトシンというホルモンは、愛する心や共感・寛容する心を育んだり、信頼する気持ちを高めたりします。オキシトシンは、暖かい環境や身体接触、他人に親切にされたり、親切にしたりすることにより、分泌が増加します。そのような物質が分泌されるような遺伝子を、人間は与えられた存在なのです。
職業としてのケアの問題
ケアは本来家庭の中やコミュニティの中で行われてきた行為でした。乳幼児のケアに始まり、高齢者のケア、そして病人のケアや障がい者のケアなどは通常家庭内で行われ、多くの場合、女性がその仕事を担ってきました。
しかし、その後の社会の発展で、仕事の分業化が始まり、ケアも社会の中で職業として行われることになり、家庭内行為が外部化されてきました 5)。人間社会が高度化・分化してきた必然の結果です。教育や医療も、かつては家庭の中で行われてきましたが、社会の発展で、仕事が外部化されてきたことと同じ流れです。
教育や医療が専門性の高い職業としての一定の地位を築いてきたのに比べて、ケアは専門性や熟練性が低い仕事とみられてきました。ケアは女性の仕事であり、(実際にはそうではないのですが)誰にでもできる仕事であり、供給者も無尽蔵にあると考えられてきた面もあります。
ケアは、その技術が高度化したため外部化したのではなく、家族や共同体が相互扶助の形で担っていたものが、核家族化のため外部に委託せざるを得なくなった面があります。家庭がないと食生活が難しかった時代から、コンビニエンスストアや外食などを利用すれば独身でも簡単に安価な食生活が送れ、生活できる社会になった時代に、ケアが外部化されているのです。家事労働を有償のものとして換算しようとする動きに、最も反発したのは専業主婦たちです。養育やケアは愛からの行為なのに、それが金銭に換算されることでプライドが傷ついたためということです 6)。
社会ではケアは労働として誰にでもできるものであり質的に低いものと考えられ、低賃金で抑えられてきた面があるといいます 6)。介護職の賃金は全産業平均の6割程度という低さでしたが、2021年政府は「福祉・介護職員処遇改善臨時特例交付金」を新設し、2022年より交付金を支給する施策がスタートしました。
介護職が人手不足のために海外からの労動者を受け入れるとき、言葉の問題でコミュニケーションも取りづらかったり、育った文化の違いからケアの提供が思うようにいかないことがあるのではないかと考えられます。これからの社会をより人間的で豊かなものにするためには、社会全体がケアに対してもっと高い評価をして、賃金を支払うことが必要なのかもしれません。
ケアの真の発展のために
高度化・先進化・分業化する社会の中で、お互いがケアできるという人間的な生活を送ることができるために、ケアという行為を金銭と交換するものとしてではなく、新しい価値観が必要なのかもしれません。
わたしは、AIやロボット技術により労働時間が短くて済むようになり、給与がベーシックインカムのような形で一定の所得が保証されれば、ケアをボランティア活動としてお互いに楽しめる未来が来るのではないかと考えています 7)。
参考図書
1)梶田昭『医学の歴史』講談社学術文庫 2003年
2)ロビン・ダンバー 著/松浦俊輔・服部清美 訳『ことばの起源 猿の毛づくろい、人のゴシップ(新装版)』青土社 2016年
3)ロビン・ダンバー 著/小田哲 訳/長谷川眞理子 解説『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』白揚社 2023年
4)ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア 病む人とその家族・友人および医療スタッフのための心のケア』サンパウロ 2010年
5)広井良典『ケア学 越境するケアへ』医学書院 2000年
6)上野千鶴子『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』太田出版 2011年
7)加藤眞三『〈いのち〉をケアする医療 患者と医療者の新しい関係のあり方』春秋社 2025年
加藤 眞三さん プロフィール
加藤 眞三さん プロフィール
1980年慶應義塾大学医学部卒業。
1985年同大学大学院医学研究科修了、医学博士。1985〜1988年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性期病態学、終末期病態学担当)。慶應義塾大学名誉教授。エムオーエー高輪クリニック院長。
■著書
『患者の力 患者学で見つけた医療の新しい姿』(春秋社 2014年)
『患者の生き方 よりよい医療と人生の 「患者学」のすすめ』(春秋社 2004年)
『〈いのち〉をケアする医療 患者と医療者の新しい関係のあり方』(春秋社 2025年)