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感情を言葉に表すということ

感情を言葉に表すということ

はじめに

自分の感情を表に出すことを悪いことであるかのように、あなたは考えてはいませんでしょうか。特に日本の現代社会では、理性や知性により行動を律すること、理知的であることが求められ、感情には従わない、感情を抑圧することが良いこととされてきました。特に、怒りや悲しみ、苦しみなどの負の感情は表に出さず、他人に気づかれないようにすることが求められています。

このような理由で、現代人は感情を表現することが抑圧され、感情を表すことをトレーニングしてこなかったのが現状ではないでしょうか。しかし、感情は人間が生きるうえでとても大切なものであり、決して理性や知性と相反するものではありません。今回は、感情を表す言葉について考えてみたいと思います。

感情にはどのようなものがあるのか

感情は身体の感覚ということもでき、快と不快(苦)と、興奮と沈静の2つの次元でとらえることができます。そして、そこに3番目の次元として、緊張と弛緩を加える人もいます。これらの感情は、人間の身体の反応として表れます。

英国の感情心理学者であるディラン・エヴァンズは、著書の中でポール・エクマンの基本情動に関する理論について、こう触れています(1)。ポール・エクマンは、どの民族やどの地に住む人にとっても普遍的であり、生得的である6つの感情を基本情動と呼びました。基本情動として、喜び(Joy)、悲痛(Distress)、怒り(Anger)、恐れ(Fear)、驚き(Surprise)、嫌悪(Disgust)が挙げられています。これらの基本情動は、急激に発動し、数秒間持続することを特徴とします。

それらに対して、愛(Love)、罪悪感(Guilt)、恥(Shame)、てれ・決まり悪さ(Embarrassment)、誇り(Pride)、羨み(Envy)、嫉妬(Jealousy)などの情動は高次認知的情動としています。基本情動と同じように普遍的であるけれど、より文化的な差異を示すものとされています。これら高次認知的情動は、基本情動に比べて、よりゆっくりと立ち現れ、ゆっくりと消えていくものとされています。

これらの情動は全て身体を守る、生命を維持するための反応でもあるのです。もっとも、これらの情動を表す言葉が最初にあるわけではなく、そのような身体感覚があり、それを表現し共有しようとして生まれたのがこれらの言葉であるわけです。

感情を言葉に表す

人間がよりその人らしく生きるうえで感情をもっと大切にしなくてはならないのだと思います。そして、感情の豊かさの中に真の幸福が感じられるのではないでしょうか。

現代人は理知的に過ごすことが良しとされ、感情を言葉に表す機会も少なくなり、表現すること自体を苦手としているのかもしれません。言葉に表すこともできない程の感情という表現もあるわけですが、感情を表現する手段は言葉だけではありません。音楽や絵画、演劇や映画など芸術的・文化的な活動も感情を表現するためのものです。

しかし、もし、自分の感情をすぐに伝えようとするなら、まず最初に選ぶのは言葉ではないでしょうか。だからこそ、自分の感情を言葉で表現することをもっと大切にし、言葉に発する練習をすることが大事なのです。

そのためには、自分の感情を表す言葉を探す、言い回しを選ぶ、表現法を身につけるというステップが必要になります。

言葉に表すことにより感覚はより敏感になり、より豊かになる

ソムリエがワインを味わう時、その香りを表現する言葉として、果実、花、ハーブ、スパイス、動物系などで100個以上の言葉をもっているのだそうです(2)。そして、そのような言葉で表現をしようとすることにより、香りに対する感覚はより敏感になり、豊かになっていくというのです。

このことは、感情にも同様に当てはまるものと思われます。ですから、私たちは普段から自分の感情を表現する言葉をもつことに努め、ボキャブラリーを増やしていけば、感情はより豊かなものになるのではないでしょうか。

味覚についても、言葉の重要性に気づかせられる出来事がありました。かつて、味覚として、甘味、酸味、塩味、苦味の4つが挙げられていましたが、2002年になって、うま味が5つ目の味覚として世界的にも認められるようになったのです。

日本では以前からうま味が味覚の1つとして認識されていましたが、海外では認められていませんでした。うま味の主要物質であるグルタミン酸は、1908年に東京帝国大学(現・東京大学)の池田菊苗博士により、昆布だしの主成分として抽出・発見され、その味がうま味と名づけられました。その後、鰹節に含まれるイノシン酸や干し椎茸に含まれるグアニル酸もうま味を呈することが明らかにされ、日本人の間では1つの味覚として確立していたのですが、世界的にはそれ程知られていませんでした。

ところが、2002年にL-アミノ酸の味を受容する分子としてT1R1/T1R3が同定され、うま味という味覚があることが科学的に実証されたため、世界の料理人の間で一躍うま味が注目されることになったのです。フランス人シェフなどが日本にうま味を求めて来日し、学んでいる様子がテレビでも放映されていました。

丁度、世界的にもメタボリック・シンドローム(肥満、高血圧、糖尿病、脂質異常)が医療の重要な課題となっている時期でもあったため、塩分や甘味に代わる味覚が求められており、より注目を浴びることにもなったのではないかと思います。

いずれにしても、日本人はこの味覚を、うま味という言葉で共有することができたため、この味覚により敏感になり、そしてこの味覚を大切にし、より豊かな食生活を創ることができたのではないでしょうか。

グルタミン酸は、トマトやタマネギ、ブロッコリー、チーズやマッシュルームにも多く含まれているため、イタリア料理にもその味覚は利用されてきたのですが、うま味という味覚としては意識されていなかったのです。一時ブームとなった熟成肉も、アミノ酸に分解されて、グルタミン酸などのうま味成分が多いことが知られています。

感情を表す言葉でその感情を共有する

さて、ここまで感覚と言葉の表現について述べてきましたが、同様のことは感情についても言えそうです。ディラン・エヴァンズは『感情』(1)という本の中で次のような体験談を紹介しています。

「ティムは私がバンドに加わってくれて、どんなにうれしかったかということを語った。私は、その言葉が私の中にもたらした強烈な反応を、今なお、鮮明に思い出すことができる。温かい波が腹部から湧き上がり広がってゆき、あっという間に私の胸をいっぱいに包んだのだった。それは喜びのたぐいのものだったけれど、今まで経験したどの喜びとも異なるものであった。それは、私が誇りをもって友人と呼べる人たちから受け容れられ、その人たちとの間に強い絆を感じ、また、尊重されているという情感であった。私は、それまで味わったことのない新しい感覚に衝撃を受け、一瞬、言葉をなくした。(中略)

私だけがそうした経験を有しているわけではないことは確かであろう。何百万というサッカーのファンや宗教崇拝者は毎週末、同じような経験をしているように思われる。そしていまだに、そのことをぴったりと言い表す英語の言葉はないのである。(中略)

日本においては、そういう言葉があるようである。「甘え」という言葉は、「他者から完全に受容されているということに対して覚える安楽さ」を表し、これは私がティムの言葉から感じたものにほかならない。(中略)

何年もたってから「甘え」に関する記述を読んだときに、すぐに、それが、あの晩、ティムの家で私が感じた情動を言い表すものだと悟った。世界中の人がこうした情動を経験するに違いないが、その情動を言い表す言葉を持っているのは、その内のごく一部に限られているのである。」※

日本人の「甘え」という言葉は、日本人のもつ「甘えの構造」があるからこその、その表現があると思われますが、それは決して日本人にのみ存在する感情ではなく、欧米の人にも同様の感情があるということを感情の研究者が述べているのです。

すなわち、ある感情を表す言葉をもつことにより、その感情を周囲の人とより共有しやすくなり、その感情に対してより敏感になり、その感情がその地域で育まれていくことにもなるのでしょう。

注釈
ディラン・エヴァンズ:1966 年生まれ。英国の感情心理学、人工知能研究者
ポール・エクマン:1934 年生まれ。米国の心理学者。感情と表情に関する先駆的な研究で知られる
参考図書(1)ディラン・エヴァンズ著/ 遠藤利彦訳・解説『感情』 岩波書店 2005年
参考図書(2)田崎真也『言葉にして伝える技術―ソムリエの表現力』 祥伝社 2010年

※本文には“英語圏では独立性、自己主張、自主性を重んじるが、日本ではそうではなく、むしろ他者と良好な関係を築き、調和した集団の中で生きていくことの方がより重要であることが多い。”とも記されている(訳注として「ここでの「甘え」に関する一連の記述は、土居健郎『甘えの構造(』弘文堂、1971年)の概念に根ざす」との記述あり)。

加藤 眞三 さん プロフィール

加藤 眞三 さん 加藤 眞三 さん 1980年慶應義塾大学医学部卒業。1985年同大学大学院医学研究科修了、医学博士。1985~1988年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、現在、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性期病態学、終末期病態学担当)。

■著 書
『患者の力 患者学で見つけた医療の新しい姿』(春秋社 2014 年)
『患者の生き方 よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ』(春秋社 2004年)