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危機に対面したときの受容について考える

危機に対面したときの受容について考える

危機への遭遇時にたどる魂のらせん階段

ドイツ、ハノーファー大学のエリカ・シューハルト博士は、世界の二千冊を超える闘病記などを分析し、重い病気や障害など人生の危機に直面した人の心理状態の変化を「魂のらせん階段」として解説しています。危機に直面した後、①不確かさ、②確信、③攻撃性、④折衝、⑤うつ状態、⑥甘受(受容)、⑦活動、⑧連帯の8段階を移行するというのです。※1 ※2
『死ぬ瞬間』の中で、エリザベス・キューブラー・ロス博士は、患者の心理的プロセスにおける、死の受容までの5段階を明らかにしました。ロス博士は、終末期の患者を対象としたインタビュー調査の結果、①否認、②怒り、③取引、④抑うつ、⑤受容と経過することを示しました。※3
ロス博士の1段階「否認」は、シューハルト博士では1段階と2段階に分けられています。受容を、ロス博士は5段階目、シューハルト博士は6段階目にしていますが、ほぼ同様の経過を経て受容に至ることを示しています。
シューハルト博士は難病患者や障害のある人の闘病記を対象として研究したために、受容の後に⑦活動、⑧連帯を見い出したところに独創性があります。※1 ※2

受容(甘受:Acceptance)のために必要とされるもの

死を迎える際や、病気を抱えて生きるうえにおいて、受容はもっとも重要なステップです。受容に至ることができない人がいる一方で、重病であっても短期間で受容へ至る人もいます。受容までの各段階においても、その経過に長短があったり、途中で逆戻りをすることもあるなど、個人差は大きいのです。
シューハルト博士は、患者の視線は受容に至るまでは過去に向かい、「Why?(なぜ)」という疑問に支配されていたと述べています。そして、病気に対する意味づけができた後、患者の視線は現在、そして未来へ向かい、「How?(どうする)」という疑問へと移行していたというのです。つまり、危機や苦悩に対しての意味づけができたときが受容であり、そこから活動や連帯につながるのです。
シューハルト博士の「魂のらせん階段」を患者会などの集会で紹介すると、多くの人から「私もそんな心境の変化(怒りやうつ状態など)を経験してきた」という感想をもらいます。一方で、筆者の目に、すでに活動や連帯の段階に移っていると思われる人から「私は病気を受容なんかしていない」という声がしばしば聞かれます。
その理由は、受容という言葉に「自分の病気はもう治ることなんかないと完全に諦め、希望を捨ててしまう」というニュアンスを感じてしまうためではないかと私は考えました。しかし、この日本語から感じる受容とシューハルト博士が表現する受容は、やや異なっているようです。
シューハルト博士は、現在の状況を、その時点でそうであるとして受け止め、そこを基盤に活動が始まっているときに受容と表現しています。「受容状態とは、ある平穏な状態として理解されるような単なる諦めを意味するものではない」と述べています。そして、次のように解説しています。
「被害者は自分自身が今なお存在していることに気づき、自分が一人ではないこと、自分の能力を利用できることに感動し、そして自分の思考能力や感情など人間としての十全な能力を忘れていたことを恥ずかしく思う。堰せきを切ったようにさまざまな経験が彼に降りかかり、世界が広がる。そして、ついに『やっと分かった』という理解にいたる。わたしはここにいる。わたしにはできることがあり、それをやろうと思う。わたしはわたしを受け入れ、わたし個人の独自性と共に生きる。この局面はそれゆえに受容状態とよばれる。」
シューハルト博士の著書の文献※2では、受容ではなく甘受と翻訳されています。甘受は、「納得はできていないけれど、不本意ながら受け容れる」という意味があり、受容よりもシューハルト博士の意味に近いかもしれませんが、日常の会話の中でそれほど使われる用語ではなく、しっくりこない人が多いのではないでしょうか。
最近、私は、受容を「明らめる(あきらめる)」と翻訳してはどうかと考えています。現在の状況を理性的に、そし感情的に明らかにし、そこを出発点とするのです。

人は、なぜ意味を必要とするのか?

受容に至るには、「なぜ(why?)、わたしがこの病気に」という疑問への自分なりの回答が必要となります。なぜ、苦悩をもたらした危機に対する意味づけが必要なのでしょうか。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の上田紀行教授は、人類が狩猟社会から農耕社会へと移行したことにより生活スタイルや価値観が大きく変化し、今を我慢して努力し、生きる喜びを先延ばしにすることになったのではないかと述べています。※4
人間は、道具を創り出し、農耕を開始して生産性を飛躍的に大きく伸ばし繁栄してきました。道具を創作し使用することは、生活を便利にするという意味があり、畑を耕し、種をまき、雑草を抜くなどの労働や努力は、作物を収穫するためという意味があります。人間は、そのような生活・文化の中で育てられ、活動することに意味を求めることが宿命づけられたのです。
生物学的なヒトも、もしオオカミに育てられたなら、活動に意味を求めることはしないのかもしれない。人間の文化の中に育ち、教育されたからこそ、人は自分の行動に意味を求める動物になったのです。人間は、危機にも意味を求め、意味を見つけ出すことにより、それより先に進み、活動ができることになったのです。

フランクルが見い出した苦悩の意味

ナチスの強制収容所に収監された体験をもち、実存療法(ロゴテラピー)を生み出した精神科医ヴィクトール・E・フランクルは、『夜と霧』の中で、危機などに遭遇したときの苦悩の意味づけについて次のように述べています。※5
「人間が生きることには、つねに、どんな状況でも意味がある。この存在することの無限の意味には、苦しむことや死ぬことも、つまり、苦と死さえも含まれているのだ。…(中略)生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。」 生命の危機に直面したとき、危機に対して「なぜ、私が?」と意味を問いかけますが、フランクルは生きていることに意味があることを前提とし、危機に直面する苦悩に対しても意味を見つけられるはずだと述べています。フランクルは、過酷な収容所の生活の中で苦悩の意味を見い出した人が生き延びられた人であったことを目撃し体験したのです。
フランクルは、危機的状況への絶望自体が人間が意味を求めていることの証拠であり、すべての人間に「意味への意志」があると述べています。※6
「私がいいたいのは、あなたの絶望のために、あなたは絶望する必要はないということです。あなたはこの絶望を、私は『意味への意志』と呼んでいるものの存在のあかしととるべきです。そしてある意味では、意味へのあなたの意志というまさにその事実が、あなたの意味への信仰を証明しているのです。」※6
苦悩に意味を見つけるためには、それまでの価値観や人生観を書き換えるための意志が必要となります。それは難しく困難な作業ですが、他人まかせにできることではありません。
「もし私がそれをなさないのであれば、誰がそれをなすというのだろう。そして、もし、私がそれをたった今なさないのであれば、私はいつそれをなすべきであろうか。『もし私がそれをなさないのであれば』——この言葉は私自身の独自性を示しているように思われる。」※6
 個人は、遭遇するさまざまな状況に適応しつつ生きていきますが、適応の仕方は人によって異なります。過去の困難に際し、各個人が感覚としてどのように捉え、どのような感情がもち上がり、どのように思考し、そして、何をもっとも大切にしてきたかを振り返ることが大切になります。その人が心の底(魂)からもっとも大切にしたいもの、欲しているものを探し出すことが「意味への意志」なのです。

生きる意味を見つけるためのヒント

フランクルは人生に意味を見い出すことのできる3つの価値を挙げています。
「第一は、創造によって世界に対し何を彼が与えるかということである。第二は、出会いと経験によって世界から何を彼が受け取るかということである。第三は、彼が変えることのできない運命に直面しなければならない場合に、その苦境に対して彼がとる態度である。これが、人生が意味を持つことを決してやめない理由である。」※6
「自分を待っている仕事や、自分を待っている愛する人のことを心に思い描いている人は、決して自分の生命を放棄することはない。なぜならその人は、まさに自分の存在が『何のため』であるか、その理由を知っているし、そのため、ほとんどいかなる状況にも耐えることができるからだ。」※5
3つの価値(創造価値、体験価値、態度価値)は、どんな人でも、どのような状況下でも、生きる意味を与えると述べています。また、「自分を待っている仕事、自分を待っている人」を見つけることにより、生きる意味は見つけられるというのです。
フランクルのいう「意味への意志」は、自分の本当の願い(魂のもつ願い)を見つけ出そうとする力であり、その人が人生の中でもっとも大切とするものを見つけ出そうとするものなのです。危機に際して現れる感覚、感情や思考により、本当の願いが現れ、自分の活動の方向を見つけ出すことになるのです。

参考文献
※1 エリカ・シューハルト著/戸川英夫監/山城順訳 『なぜわたしが?:危機を生きる』長崎ウエスレヤン大学 2011年
※2 エリカ・シューハルト著/樋口隆一・山本潤・伊藤綾訳 『このくちづけを世界のすべてに-ベートーヴェンの危機からの創造的飛躍』アカデミア・ミュージック 2013年
※3 エリザベス・キューブラー・ロス著/川口正吉訳 『死ぬ瞬間』読売新聞社 1992年
※4 上田紀行 『人間らしさ 文明、宗教、科学から考える』角川新書 2015年
※5 ヴィクトール・E・フランクル著/霜山徳爾訳 『夜と霧』みすず書房 1985年(初版1956年)
※6 ヴィクトール・E・フランクル著/山田邦男 監訳 『意味への意思』春秋社 2002年

加藤 眞三さん プロフィール

加藤 眞三 さん 加藤 眞三 さん 1980年慶應義塾大学医学部卒業。1985年同大学大学院医学研究科修了、医学博士。1985~1988年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性期病態学、終末期病態学担当)。現在、慶應義塾大学名誉教授。

■著 書
『患者の力 患者学で見つけた医療の新しい姿』(春秋社 2014年)
『患者の生き方 よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ』(春秋社 2004年)