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息をすること、
声に出すこと、生きること

息をすること、声に出すこと、生きること

2022年2月、北海道難病連が主催するオンラインの公開講座「患者学」の集会で、釧路支部の会員の人たちから話題提供があった。自分たちの抱えている難病を地元の人にも広く認知してもらおうと毎月FMくしろで出演する番組をもち、ショッピングモールなどで相談会を開催するなど、素晴らしい活動をされている。釧路支部は『なかまがいるよ』という支部の歌を作り、それが支部会員の連帯感を高め、地域の市民へ自分たちの活動を発信する力となっていた。その話の後、わたしは、「息をすること、声に出すこと、生きること」と題して話をしたので、今回はその内容を紹介したい。

生きることは外の世界とのやりとり

40代前半の頃、わたしは大学病院での診療のあり方に疑問をもち、中川米造氏の本をむさぼるように読んでいた。その時、特に強く印象に焼き付いたのが、「生きるとは外の世界とのやりとりである」という言葉であった ※1。この言葉には、生きることや、生きることを支える医療を考えるうえで、とても大切な意味が含まれている。
生物としての人間の身体が物質的に外界とやりとりをするなかで、最も基本的で重要な活動は、食べることと、息をすることである。
人は見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れることの5つの感覚を通して外界をとらえ、そして、能動的に反応し活動することにより生きている。食べる時には、五感をフルに働かせて感じ、外界のある物質を口に入れることになる。
消化管の中は、実は人体にとっての外界であり、消化管内を通過する食べ物は外界の物質である。消化管内を通過する物質を消化し、吸収し、体内に取り入れ、吸収されたものは身体内で活用され、エネルギー源や体の構成成分の材料として利用される。つまり、食べるとは、まず外界からある物質を選択して消化管内へと運び、消化管内という外界を通過する物質と身体の間でやりとりをする行為ということができる。消化管内に何を通すのかは人間の意志によってコントロールでき、何を通す(すなわち何を食べる)のかは生きるうえでの重要な決断となる。
食べることには、もう一つの大事な側面がある。腸管内の微生物との共生関係が、健康を維持するうえで役立っていることだ。近年、小腸内の腸内細菌叢が健康を維持するためにさまざまな役割を果たしていることが解明され、免疫、精神や性格にも影響を与えていることが報告されている。腸内細菌叢は、摂取する食物によって変化する。人間は自分の意志によって腸管内という外界に存在し人間と共生関係にある微生物を育てることができ、それが自分の健康にも影響を与えているのだ。

参考図書
※1 中川米造『医療のクリニック<癒しの医療>のために』新曜社 1994年

生きることと息をすること

物質レベルでの身体と外界とのやりとりで、息をすることも最も基本的であり、かつ重要な活動である。呼吸により、人体は酸素を取り入れ二酸化炭素を排出し、食物より得られた物質からエネルギーを利用し、活動が可能となる。
呼吸は、普段の生活では自分の意志によって行うものではなく、自律神経によって無意識下に行われているが、自分の意志により、ある程度コントロールすることができる。意識的な呼吸のコントロールにより、精神を整えたり、気持ちを落ち着かせることが可能となり、健康を保つことにつながる。
ヨガや座禅など、宗教的修行の中でも呼吸のコントロールは重要な位置を占めており、最近、医療の分野で注目されているマインドフルネスでも、呼吸に自分の意識を向けることがすすめられる。
つまり、生命の基本的な活動である呼吸は、身体的にエネルギーを利用させるだけではなく、精神面にも大きな影響を与えているのだ。

生きることと声を出すこと

声を出すことは、息をすることの延長線上にある。人は、声を出すことによって周囲の人とのやりとりを行う。声による他人とのやりとりによって、ヒトが人間としての生活を形成していく。人は動物界の中で肉体的には弱い小動物であり、声によるコミュニケーションで社会をつくることが生き残るうえで不可欠であった。
つまり、物質レベルでの外界とのやりとりである食と呼吸と並ぶといってよいほど、声を出すことはヒトが人間として生きていくうえでの重要なやりとり、生命活動の一要素であったということができる。
すなわち、声を出すことにより周囲の人と情報、感情、魂(心の深い部分)のやりとりを行い、そのかかわりによって生き抜いてきたのが人間なのだ。

声の5つの要素

さて、わたしたちは普段生活する中で、どのような声を出しているだろう。多くの人はそんなことを意識したこともないだろう。劇作家・演出家である鴻上尚史氏は、声には、①声の大きさ、②声の高さ、③声の速さ、④声の間、⑤声の音色の5つの要素があるという ※2。
たとえば、「あなたは声の大きさを何種類使い分けていますか?」と問われても、すぐには答えられないのではないだろうか。1人でつぶやく時、2人で対面で話す時、そして複数の人と一緒に話す時と3種類の大きさが要求されるが、1種類や2種類しか使い分けていない人が多い、と鴻上氏はいう。
確かに、電車の中で2人で話しているのに、周りの人が迷惑するほどの大きな声でしゃべっている人もいるし、5人で会食していても、隣の人にしか聞こえないくらいの小さい声で話している人もいる。また、2人で話す時にも、話の内容によっては、いつもより音量を下げた方がよい場合もあるだろう。鴻上氏は、このように音量は3種類だけでよいというものではなく、TPOに応じてもっと変化させることが大切だと述べている。
鴻上氏は、話し声の高さについても、男性では1種類、女性では2種類しか使っていない場合が多いと述べている。女性は、電話がかかってきた時、「はい、もしもし」と、よそいきの高い声で応答するが、家族や友人だと知ると急に、「なーんだ」と高さを下げて使い分けをする。男性であっても初対面で緊張している時には高い声となり、リラックスすると低い声になる。
温かい低い声は癒やしの効果をもつかもしれないし、ドスのきいた低い声は他人を脅す時に有効だという。一方で、ソプラノの澄んだ高い声を聴くと、心が洗われるような清々しい気持ちにもなるが、そんな人と家庭で一緒に暮らしていると気が休まらないかも知れない(と密かにわたしは想像し心配しているだけなのだが)。
それ以外にも、声の速さ、声の間、声の音色などを使い分けることにより、その人の話す表現力は豊かになると鴻上氏はいうのだ。わたしたちは一体どれだけ声をコントロールすることを意識しているだろうか。

参考図書
※2 鴻上尚史『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』講談社文庫 2003年

自分の声を好きになる

録音した自分の声を聞くとゾッとするという人がいる。また、『8割の人は自分の声が嫌い』(山﨑広子著) ※3といわれるほどに、自分の声を好きではない人が多い。自分の声が嫌いな人の多くは自分自身に対する否定感を強く持ち、①声の中に「自分が嫌っている自分の本質」が表れている、②声が「本当の自分のものではない」と感じるから、などが理由として挙げられるという。 
自分の声を好きになるためには、録音した自分の声を聴き、本当の自分の声を見つけることが大切だと山﨑氏はいう。それぞれの人には、その人の身長や体格にあった声(オーセンテイック・ヴォイス)があり、そんな声は自分にとっても気持ちよく、他人にとっても心地よく聞こえるのだ。
周囲の人とよいコミュニケーションをとるためには、自分本来の声を見つけることが大切となる。

参考図書
※3 山﨑広子『8割の人は自分の声が嫌い 心に届く声、伝わる声』角川SSC新書 2014年

声で伝えようとするもの、伝える対象

人間が声で伝えようとするものには、知識(情報)と感情と魂がある。伝えるものが知識だけなら、声によりその記号(情報)が伝わればよいのであり、機械に読ませてもいいし、文字や画像に置き換えることも可能であろう。
話をする時に、感情や魂に訴えるためには、声の表現力がより大切になる。科学の教科書を機械に音読させることは可能であっても、詩の朗読を機械任せにすることはできない。それでは、伝わるものが圧倒的に少なくなる。つまり、感情や魂に訴えるためには、棒読みではない表現力が大切なのだ。
わたしたちは、今まで普段の会話の中で、声を出すことに無頓着でありすぎたのかもしれない。たとえば、病を抱えた人と話す時に、知識を伝えるだけではなく、感情や魂のレベルにまで届く声を出すことが求められるだろう。逆にいえば、病を抱えた人では、感情や魂に響く言葉に、より敏感になっているといえるだろう。そのように考えてみる時、わたしたちは、声の5つの要素にもっと意識的になり、話す表現力を高める努力が必要なのではないだろうか。

加藤 眞三さん プロフィール

加藤 眞三さん プロフィール 加藤 眞三さん プロフィール 1980年慶應義塾大学医学部卒業。
1985年同大学大学院医学研究科修了、医学博士。1985〜1988年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性期病態学、終末期病態学担当)。現在、慶應義塾大学名誉教授。

■著 書
『患者の力 患者学で見つけた医療の新しい姿』(春秋社 2014年)
『患者の生き方 よりよい医療と人生の 「患者学」のすすめ』(春秋社 2004年)