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宮城県でのヘルスケア関連団体の支援活動 東日本大震災

宮城県でのヘルスケア関連団体の支援活動
東日本大震災

2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本国内で観測史上最大の地震となり、地震後に発生した大規模な津波は、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。死者・行方不明者数は2万人を超え、戦後最悪の自然災害となりました。大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによって、広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断されました。建築物の全壊・半壊は合わせて24万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上にも上りました。地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故が発生し、周辺一帯の住民は長期避難を強いられました。被災地では復旧復興の遅れが指摘されており、震災から5ヶ月を経過した時点でも、避難・転居者は8万7千人を数え、多くの被災者が現在もなお不自由な生活を強いられています。

東日本大震災では、多くの難病・慢性疾患患者や障がい者も被災したと考えられますが、被災の全体像は明らかになっていません。
日本難病・疾病団体協議会(JPA)や日本障害フォーラム(JDF)をはじめ、多くの当事者団体が震災直後から支援活動を開始しましたが、あまりにも広範囲で甚大な災害であったことに加え、個人情報保護法の壁や、行政・医療機関の被災もあり、特に在宅や団体未加入の患者・障がい者の安否確認は困難を極めています。多数の住民が県外に避難している福島県では、警戒区域内は施設利用者を含め、全く被害の把握ができていません。長引く避難生活や支援の不足による、被災した患者・障がい者の体調悪化や孤立化が懸念されています。

さて、ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会(VHO-net)東北学習会では、2006年から難病・慢性疾患患者や障がい者といった要援護者の災害対策に取り組んできました。運営委員の阿部一彦さんは、(財)仙台市障害者福祉協会会長でもあり、仙台市の総合防災訓練や当事者向け防災マニュアル作成などへの参加を東北学習会参加団体に呼びかけ、行政・医療関係者を含めた幅広いネットワークづくりに従事してきました。東日本大震災では、当事者団体や支援団体、地域と行政との連携を深めながら、被災障がい者支援にいち早く取り組み、積極的な活動を続けています。
そこで、宮城県における障がいや病気のある人の被災の実状、支援活動の内容や課題について、阿部さんにお話を聞きました。

「3月11日」以前よりも暮らしやすい社会の構築を目指して
宮城県は死者数9千人以上と、東日本震災によって沿岸部を中心に甚大な被害を受けました。その被災地で、阿部さんは「被災障害者を支援するみやぎの会」の代表として、震災直後から活動されています。
まず、当初の被災状況や支援活動内容を教えてください

(財)仙台市障害者福祉協会会長・東北福祉大学教授 阿部 一彦 さん
震災当日、私は東京にいました。仙台への交通機関は、飛行機も新幹線もストップしていたため、東京で日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合支援本部を立ち上げ、被災障がい者への支援や仮設住宅のバリアフリー化、在宅人工呼吸器使用者やオストメイト、精神障がい者への対応について、内閣府や厚労省に緊急の要望を提起するといった活動を行いました。3月16日に大阪の伊丹空港から山形経由でやっと仙台に戻りましたが、仙台市内は水も食料もガソリンも手に入らない状況で、大学も休講になりました。
3月23日にJDFと地域の当事者団体との情報交換会が開催され、緩やかなネットワークとして「被災障害者を支援するみやぎの会」を発足しました。その時に参加した団体からは、物資や人は集まってきており、指定避難所などには支援が届いているが、個々の施設には行き届いていない実状、情報や課題を共有する調整の場の欠如、在宅の個人や沿岸部の施設への支援不足が報告されました。3月30日にはJDFみやぎ支援センターが仙台市内に開設され、毎日40人前後のボランティアが沿岸部被災地に出向いて活動しました。
仙台市障害者福祉協会は、震災直後、加入団体の会員やサービス利用者の安否確認を行い、3障害者福祉センターに福祉避難所(二次避難所)を開設しました。災害時相互支援協定を締結している山形県身体障害者福祉協会は、災害時緊急車両指定を受けて、日用品や食料品などの輸送を支援してくれました。

「被災障害者を支援するみやぎの会」としては、情報交換会を開催し、地域団体が発信したい情報や当事者にとって必要と思われる情報をまとめて発信したり、地域団体が把握したニーズを、JDFを通して国や地方自治体へ要望する活動などに尽力してきました。
個々の団体では、「CILたすけっと」は「ゆめ風基金」と連携して重度の障がいのある人の支援にいち早く動き出していました。東北白鳥会や(公・社)日本オストミー協会、(社)日本リウマチ友の会や(社)全国腎臓病協議会のように、日頃から医療機関や医療機器メーカー等と連携して災害対策に取り組んできた団体も、迅速に会員や患者への支援を行っていたことが印象的でした

被災した障がい者や難病患者の避難生活について、聞かせてください

障がいや病気があり、平常時でもさまざまな支援を必要としている人々は、情報の入手や自力での避難が困難で、災害による被害を受けやすく、弱い立場にあります。また、避難先での生活を続けることは、身体的・精神的に大きな負担が伴います。避難所生活による体力低下や、周囲に迷惑をかけるのではないかという遠慮、トイレの問題などから、脱水症や膀胱炎になる人もありました。集団生活のストレス、薬の不足、停電の影響、痰吸引・酸素吸入できないなどの理由で、震災1週間後ぐらいから体調を崩す慢性疾患の患者さんが多く、急性肺炎・誤嚥性肺炎などの感染症も増加してきました。

避難所生活が長引くにつれて、障がいや病気のある人は仮住まいに居づらさを感じ、被災した自宅に戻ったり、親戚宅などを転々としたりするケースが多かったようです。食料品・日用品などの支給、必要情報の周知は避難所を拠点に行われるので、避難所を退去した人はあらゆる不便を被っていたと考えられます。そこで、仙台市障害者福祉協会では、福岡市身障協会、日身連、大学生などの応援を受けて福祉避難所の運営に取り組みました。
JDF支援センターでは、浸水した住居のヘドロ撤去や清掃作業、生活用品や福祉用具などの調達・配送も行っていますが、個人情報保護条例の壁があり、支援の必要な障がい者や難病・慢性疾患患者を地域で把握できない点も、大きな課題だと実感しました。実際には、当事者団体の名簿の提供を受けて安否確認活動を行ったり、保健師に同行して支援活動につなげたり、障害者手帳の再交付手続き支援にかかわるなど、個人情報の壁を乗り越えようとした事例もあるので、今後、検討が必要だと考えています。

宮城県では、震災前から宮城県沖地震への関心が高く、VHO-net東北学習会でも積極的に防災対策に臨んでいたとお聞きしています

宮城県では、約35年周期で大きな地震が発生するとされ、防災への関心はもともと高く、当事者団体もさまざまな取り組みを行ってきました。
東北福祉大学のボランティアセンターの呼びかけで、障がい種別団体ごとに支援の必要性や災害時の対応について検討する機会を持ち、各当事者が執筆して災害時要援護者マニュアルを発行し、シンポジウムなどを通して、障がい別のニーズを地域に発信しています。
障害者福祉協会でも数年前から仙台市の総合防災訓練に参加し、災害時ボランティアの養成・登録、関係者の防災意識の啓発に力を入れてきました。ただし、これらは過去に起きた地震の規模を念頭に置いた地震発生直後の避難方法や日頃の準備を検討するものであり、今回のように大規模な地震・津波を想定したものではありませんでした。VHO-netの東北学習会でも、発足当初から災害対策に取り組み、災害時要援護者の視点で災害時の医療の確保や、福祉避難所のあり方、避難所生活における食事への配慮などを検討してきましたが、大津波は想定外でした。
今後は、これまでの防災に関する当事者団体のアプローチや支援のあり方、そして制度などを再考して、これからの災害に備えていくことが必要になります。また、今なお困難な被災生活を強いられている障がい者や難病・慢性疾患患者の個別の生活ニーズに応える支援と、沿岸部の被災団体への支援が求められます。
個人情報の活用については、当事者の立場から検討する必要性を痛感しました。各団体や地域で、個人情報の取り扱いにあらかじめ対処しておくことにより、必要時に個人情報を安全かつ適宜活用できる仕組みをまず仙台で作り、ぜひ全国に広めていきたいと考えています。

被災者支援活動において、当事者団体の果たす役割とはどのようなものでしょうか

まず、地域の団体が活動することの意義があると思いました。支援に来てくれる全国の団体も、地域の団体と連携して活動することによりエリアで信頼されて、きめ細かい支援活動を展開できるからです。残念ながら外からの支援には限界があり、やがては地域の団体が役割を担わなければなりませんから、当初からできるだけ地域の団体が支援活動の中心になるべきでしょう。私たちはそのような考えのもとに「被災障害者を支援するみやぎの会」を作りました。
当事者団体だからこそ、できる取り組みもあると思います。この震災で、団体に属する会員は名簿があるため安否確認ができ、必要な支援を受けられ、“会員であることが安心感につながった”という声も多く聞かれました。もっと入会を呼びかけ、安心して暮らせる人を増やしたいという団体もあります。まだ交通網の復旧が不十分ですし、活動するスペースの確保も難しいですが、当事者同士で集まり、震災の経験を話し合う場を作ることは必要だと感じています。自助、共助、公助の中で、障がいや疾病のある人にとっては、セルフヘルプグループごとの支え合いや、地域の団体とのつながりという「共助」が最も重要で役立つものではないでしょうか。
大震災によって、すでに失われているとされてきた絆やつながり、支え合いが、今も日本に存在していることも実感しました。現在、これまでの経済至上主義の競争型社会から、心の豊かさに価値をおく、支え合いの成熟型社会への転換期と言われます。つながりや支え合いを大切にしなければならないのは、被災地だけではなく日本全体です。新しい社会の構築に、被災した3県から取りかかることもできるのではないでしょうか。
3月11日よりも暮らしやすい社会の構築――時間はかかるかもしれませんが、実現する可能性はあると思います。障がいや疾病のある人を含めた被災者の声をもとに、暮らしやすい社会づくりを目指したい。そして、その時に、障がい者団体や患者団体は、障がいや病気を隠すのではなく、それをふまえて、つながりや支え合いを大切にすることを心がけたい。そうすれば、地域社会の中で障がいや疾病のある人とない人の支え合いができていくのではないか、新しい価値観が生まれるのではないか。そのように期待しています。

VHO-netや東北学習会の活動は、支援活動にどのように役立ちましたか

震災直後の情報交換会では、当初、地域の団体からは自らの窮状や前途の不安を訴える声が目立ちました。しかし、他団体の被災状況や取り組みを知って、次第に団体同士の連携・情報交換の重要性を認識し、みなが情報を共有する緩やかなネットワークができました。ちょうどVHO-netや東北学習会の活動が始まった頃の様子と似ていましたね。
VHO-netや東北学習会を通じて、障がいや病気の枠を超えてネットワークを構築していたことには、大きな意義がありました。JDFみやぎセンターの開設には、VHO-netの世話人で、精神障がい者の支援に取り組む増田一世さんも参加されていて、今も支援活動を連携しています。東北学習会で学んできた災害対策も、被害の規模は想定外ではありましたが、数多く役立ちました。東北学習会には、行政関係者も参加していたので、行政と連携を取りやすかったですし、MPC(NPO法人宮城県患者・家族団体連絡協議会)や難病団体とのネットワークがあったことも活動の力になったと感じています。

災害時の対応も重要ですが、復興の中で高齢者、障がいや疾病のある人が取り残されない社会づくりをどう行っていくかを考えるうえで、障がいや病気、立場を超えたつながり、支え合いというVHO-netの存在が極めて重要だと思いました。さらにネットワークを生かし、今後の復旧復興に向けて自治体や国への要望・復興計画・障がい者計画の策定に、主体的に関わっていきたいと考えています。

支援活動等の経緯
3月18日 JDF被災障害者総合支援本部を東京に設置
3月23日 地域の団体とJDFとの意見交換会を実施、被災障害者を支援するみやぎの会が発足
3月30日 JDFみやぎ支援センター(仙台市)開設
4月28日 みやぎ北部支援センター(登米市)開設
4月6日 JDF支援センターふくしま(郡山市)開設
4月7日 最大余震で内陸部に地滑りなどの被害